opuesto / Tate’s Official Blog

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あれから60年

3月です。

メモしておきます。


▼『ビキニ水爆実験60年 式典で大石又七さん訴え』
NHK 3月1日 18時19分


ビキニ環礁の水爆実験)

アメリカが太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験で、
日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被爆してから1日で60年となり、
現地で開かれた式典で元乗組員が核兵器の廃絶を訴えました。

1954年3月1日にアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験では、
広い範囲に放射性物質を含んだいわゆる「死の灰」が降り注ぎ、静岡県焼津市
マグロ漁船第五福竜丸の乗組員23人や島民も数多く被爆しました。

水爆実験から60年となる1日、マーシャル諸島の首都マジュロでは、
被爆した島民などおよそ100人が参加した式典が開かれ、
日本からは第五福竜丸の元乗組員、大石又七さん(80)が参加しました。

壇上に立った大石さんが「核兵器を作るために多くのマーシャルの人たちが
犠牲になった。指導者たちに猛省を促したい」と述べ、核廃絶と平和への
願いを訴えると、会場からは大きな拍手が起こりました。

そしてマーシャル諸島のロヤック大統領が「島の被爆者と第五福竜丸の被爆者は
同じ悲劇の経験を共有する仲間だ」と述べ、核兵器の廃絶に向け、
日本とマーシャル諸島が連携することの重要性を強調しました。

大石さんの演説を聞いた地元の女性は、「大石さんの演説に感銘を受けました。
この問題に対して、日本の多くの方が関わってくれていることに感謝しています」
と話していました。

広島市の代表や福島の学生も出席>

式典には、広島市の代表として広島平和文化センター
小溝泰義理事長が出席しました。

小溝理事長は式典で「私たちは核兵器の非人道性がもたらす、
ことばにできないほどの恐怖について、記憶を共有しています。
核兵器のない平和な未来の実現に向けた取り組みを続けていきましょう」
と呼びかけました。

また、福島県の大学院生と福島市出身の大学生も式典に出席しました。

学生らは放射能の影響で、多くの島民が水爆実験から半世紀以上たった今も、
ふるさとを離れ、避難生活を続けている現状などを調べるため現地を訪れています。
このうち福島大学の大学院に通う佐藤甲斐さん(25)は「実験から60年が
たっても島民が心を1つにして、この日を迎えていることに驚きました。
20年後、40年後の福島で放射能の問題にどう向き合うべきか考えさせられました」
と話していました。

<米政府高官は補償や謝罪に言及せず>

式典にはアメリカのゴッテモラー国務次官代行も出席してスピーチを行いましたが、
マーシャル諸島の人々が世界の平和と安定のために果たした歴史的貢献を
アメリカは忘れていない」と述べるにとどめ、マーシャル諸島政府が求めている
追加補償や住民が求めている謝罪については一切、言及しませんでした。

これに対して、60年前のアメリカによる水爆実験で被爆したマーシャル諸島の女性は、
「非常に怒りを感じました。すぐに壇上に上がって反論したい気持ちです」
と話していました。