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66年目の夏〜広島

昨日、6日で広島に原爆が落とされてから66年目の夏となりました。

毎日新聞の記事をメモしておきます。

『広島原爆の日 「脱原発」被爆地も苦悩』
毎日新聞 2011年8月7日 東京朝刊

◇平和宣言、踏み込まず 市民、賛否入り交じり

広島は6日、東京電力福島第1原発事故後初めての「原爆の日」を迎えた。
原子力への国民の不安が広がるなか、ヒロシマのメッセージが注目されたが、
平和宣言は「脱原発」に触れたものの踏み込まなかった。被爆者の間でも原発
対する考え方に微妙な差があることや、政治に翻弄(ほんろう)されるのを回避したいなど、
被爆地のさまざまな思いが絡み合った。

松井一実広島市長は平和宣言で、国民の原発不信を指摘し、エネルギー政策転換を
政府に要求したが、脱原発については「主張する人々がいる」と述べるにとどめた。

◇「原子力の平和利用」に触れた平和宣言◇

 ※<>部分は広島市。それ以外は長崎市

1947年 <「平和祭」で初の平和宣言>

1948年 「文化祭」で初の平和宣言

1949年 「原子力は世界平和のため人類の福祉に貢献せられんことを熱願する」(大橋博市長)
  
1953年 <「原子力を開放し得たことは、明らかに科学の偉大なる進歩」(浜井信三市長)>

1954年 <米国のビキニ環礁水爆実験で「第五福竜丸」乗組員が被ばく。
             「一切の戦争排除と原子力の適当なる管理を全世界に訴える」(同)>

1956年 <「原子力の解放が一方で人類に無限に豊かな生活を約束する反面、
             恐るべき破壊力は人類の存続をおびやかす」(渡辺忠雄市長)>

1967年 <「原子力の開発は20世紀科学の勝利を意味したが、(用途によっては)
             人類の運命は大きく決しようとしている」(山田節男市長)>

1986年 <旧ソ連チェルノブイリ原発事故。「事故は人々を放射能の恐怖に陥れ、安全管理の国際協力に
             課題を残し、一国の事故が他国にも禍(わざわ)いを及ぼすことを知らしめた」(荒木武市長)>

             同年 「チェルノブイリ原発からの死の灰は、十日あまりで地球を取り巻いた。
             農作物だけでも東ヨーロッパを中心に大きな被害を与えた」(本島等市長)

1988年 「長崎・広島の被爆者、また核兵器の実験や原子力発電所等で被ばくした世界の多くの人たちのために、
            国際医療センターの設置をお願いする」(同)

1991年 <「無謀な核実験の続行や原子力発電所の事故などで、放射線被害が世界の各地に拡(ひろ)がりつつある。
             これ以上、ヒバクシャを増やしてはならない」(平岡敬市長)>

1994年 <「原子力技術の『民主・自主・公開』の原則順守を強く求める」(同)>