最近読んでいる一冊の本があります。
小池龍之介著『しない生活』です。
(2014年06月27日 小池龍之介著『しない生活』〜RICOH CX4)
小池さんは簡単に言えば住職さんです。
この手の本は沢山ありますが、
今まで読んだなかでも読みやすく分かりやすいな〜と思っています。
その中からの一節を勝手に紹介させて頂きます。
〜脳は善悪を自分の都合がよいように決めている〜
私たちの脳は、ありのままの世界を認識しているわけではなく、
仏教で「渇愛(かつあい)」と呼ばれる自己中心的な思惑によって、
世界をゆがめて認識しています。
たとえば、雨が降る・晴れる、地震が起こる事などは自然現象であり、
本来それに良いも悪いもありませんよね。が、水不足を心配していた
人なら、久しぶりの雨を「良い」とゆがめるでしょうし、
買い物に出る予定の人は、冷たい雨を「悪い」とゆがめるでしょう。
私たちの都合に合う、合わないによって、自己中心的に良い悪いと、
レッテルをつけているのです。
ここでひとひねり。
雨の予報を見て、「買い物なのに、雨なんて嫌だな」と思い、
雨傘を持って出た事にします。なのに雨が降らなかったら、
私たちは肩すかしをくらったかのような気持ちになりがちですよね。
「傘を持って出た自分の選択が、正しくなかった」と、感じるのが嫌な、
「正しさの煩悩」ゆえです。雨は嫌だったはずなのに、
対策を打った時点で、ひそかに雨を望み始める。
あらら、なんだか、ヘンテコですね。
あるいは地震が嫌いで怖い、という人が、強固な地盤に立つ
耐震設計のマンションを高額で購入したとします。
すると地震は嫌いだったはずでありましたのに、「地震がきても
自分のマンションは無事だった」という事態を潜在的に望みがちなのです。
もし十年も地震がこなければ、地震対策に高額のお金を支払った自分の
選択は、正しくなかった、と感じるハメになるからです。
つまり、地震をひそかに渇望し始める。
かくして、もともとは「悪い」とゆがめていたはずの雨や地震も、
ひそかに「良い」にゆがめ直してしまうまでに、この脳は自分さえ
正しければよいという、わがままさんなのです。
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この手の話は良くあると思います。
特に傘の場合…
天気予報や気象レーダーを見て「よし」と思い
傘を持って出ると必ずと言ってよい程降りません。
その逆も時々ありますが…。
その時「なんだよ、せっかく傘を持ってきたのに」と
普通に思ってしまいます。
雨を待ち望んでいた訳ではないのですが、そう思ってしまうのが性です。
しかしこの一節を改めて読んでみると、考え方が変わってくると思います。
考え方、脳のコントロールも自分次第という事です。
もう一節〜「体を保つ」基本は、食事を腹七分目にとどめること〜
という面白い話がありました。
この話は、脳内仕組みから考える効果的なダイエット話かなと…。
また近々にアップ出来ればと思います。