昨日8月6日。67年目の『原爆の日』を迎えました。
帰省中でしたので、実家のテレビでその手の報道をチェックし、
自宅に戻りネットで検索していました。
東京新聞の記事から抜粋させて頂きます。
平和宣言で松井一実市長は、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に
全力を尽くすことを誓うとともに、東日本大震災と福島第一原発事故の被災者が
前向きに生きようとする姿は六十七年前の広島に重なるとして
「私たちの心は皆さんと共にある」と呼び掛けた。
また原発事故を受けて、国に対し市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を
一刻も早く確立することを求めた。
ただ「脱原発依存」に向けた国民的議論の方向性を見守るとして、
昨年に引き続き原発の是非には触れなかった。
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確かにテレビの報道でも、市長は原発の問題には触れていませんでした。
またこの1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人、5729人の名前が書き加えられた
28万959人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。
また今日、こんな記事を見つけましたので、メモしておきます。
(3日から館内の電力を太陽光発電でまかなっている丸木美術館=埼玉県東松山市で)
▼『「原爆の図」に脱原発の灯』
東京新聞 2012年8月7日 朝刊
埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」が、反核とともに「脱原発」を訴えた丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻
(ともに故人)の遺志を受け継ぐため、寄付を募って設置した「市民太陽光発電」が
三日から稼働を始めた。原爆忌の六日、美術館が発表した。
丸木美術館は国内すべての原発が停止した五月五日、美術館の電力を太陽光発電で賄う計画を発表。
市民からの寄付を募っていた。
小寺隆幸理事長によると、発表翌日から募金が殺到し、六月に目標の六百万円を突破。
七月末までに約七百六十万円が集まった。設置した太陽光発電装置は、発電パネル九十七枚で、
最大出力は毎時一三・五キロワット。「美術館の電力をほぼ賄っている」という。
丸木夫妻は一九八九年に「原発分の電気」の料金支払いを拒否。
九〇年に館に太陽光発電を導入し十数年続けたが、財政難などで維持できなくなった。
館は募金の残りを有効利用するため、八月末まで寄付を募り、初代の設備も復活させる。
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丸木夫妻の話は初めて聞きましたが、かなりハードコアな方々ですね!
凄いです。
もろもろ是非チェックしてみて下さい!
この手の記事を読みつつ、原発や電力問題、節電の事を考えつつ、
3日のパーティーと照らし合わせると、どうしても、、、違和感を感じてしまいます。
難しい問題です。。。
都市部に居ても、実家の栃木県に居ても、『本当にこの国は原発の事故があったの?』と。
とても平和に時間が流れています。
恐ろしい程にです。