opuesto / Tate’s Official Blog

I have the right to know the truth and i must protect the children's future.

破滅

おはようございます。

朝からハードなタイトルですが、ブログを通常に戻します。

急な暑さにまだ身体が慣れず、ほぼ眠れないまま朝でした。
今期は、さらに対策を考えないと危険だなと感じています。

岐阜方面のリポートが続きましたが、
缶バッチに込めたメッセージとリンクする記事を朝イチで読みました。

メモしておきます。


(「破滅」と書かれた画用紙を看板の手前で掲げて、自ら25年前の標語を訂正した大沼勇治さん=福島県双葉町で)

▼『26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔』
東京新聞 2012年7月18日 07時14分 

原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。
二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。
大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、
自ら標語を「訂正」した。

大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、
現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。
原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに
鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。

大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、
看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。
ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。

しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、
テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。
脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。

夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、
標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。
すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。
原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。

大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。
日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)

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地元での「安全神話」。

他の原発立地地域が同じ事を繰り返さないように、、と願います。

原発事故で故郷を奪われる〜」。
福島県飯舘村長泥地区もその1つです。

放射線量が高い長泥地区は村で唯一、
5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定され、
17日午前0時、国の原子力災害現地対策本部職員らの手によって閉鎖されました。

ご先祖が眠るお墓、先代が耕してくれた農地など、、、。

「自分の実家が。。。故郷が。。。」と一度想像してみて下さい。

この記事の詳細はこちらでチェック出来ます。
▼『飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷、墓前に別れ
河北新報 2012年07月17日火曜日

飯舘村の避難区域見直し] 
2011年4月、全域が計画的避難区域に指定され、全村民が避難している。
今回の見直しで、村内20地区は放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト超)、
立ち入りは自由にできる「居住制限区域」(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、
早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)に再編された。
帰還困難区域は長泥地区のみで制限区域は飯樋など15地区(1662世帯5262人)、
準備区域は大倉など4地区(208世帯795人)。
帰還困難区域は午前8時〜午後5時に限り立ち入りできるが、宿泊はできない。