opuesto / Tate’s Official Blog

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原発事故とメディア

休憩中に連続で、更新させて頂きます。

興味深いトピックを見かけましたので、メモしておきます。

じっくり読んで、個々で考えて下さい。


(ある報道番組の1コマです。下記の記事とは無関係な、あくまでもイメージです。)

▼『原発事故とテレビ 住民分断?悩む現場』
東京新聞 2012年4月26日 朝刊

東京電力福島第一原発事故をきっかけに、テレビは放射能汚染をどう伝えればいいのか、
そもそも原発とどうかかわってきたのか−を問う動きが相次いでいる。

テレビ報道が被災住民の対立や分断をもたらしていないか−。
NHK放送文化研究所が都内で開いたシンポジウム「メディアは福島にどう向き合うのか」では
メディア関係者の苦悩が、にじみ出た。シンポの主なテーマは放射能の状況や、そのリスク、
住民の選択をいかに伝えたかである。

福島から避難する被災住民、そして残る住民。同じ地域で生活してきた人々を
対立させないように報道するにはどうしたらいいか、パネリストのテレビ人は一様に深く悩んだという。
メディアは多角的に伝えようと両論併記をしがちだったが、「かえって住民の対立を招く」と
評論家の武田徹さん。リスクの有無にかかわらず「個々の自己決定の尊重を」と提起した。

◆抗議する母、農家
この意見に賛成しながらも、現場は困難に直面しているようだ。
例えば、農産物から放射性物質が検出されたニュースでは、どう報道するかで、
子を持つ母親からの抗議もあれば、逆に農家からの苦情もあり、苦しんだという。

除染などをめぐり、報道ではなく、行政の施策も、住民の分断や対立を生むという指摘もあった。
武田さんは「政策決定の過程や、リスクの複雑な構造などをもっと立体的に伝えてほしい」と注文。
農産物の出荷停止など、消費者の安心を優先させる政策を取り上げるときは
「リスクを負う農家の補償についても伝えていくことが大切だ」と指摘した。

◆「声なき声拾って」
社会学者の開沼博さんら出版やラジオなどで福島から情報発信しているパネリストからは、
「分かりやすい『敵』『悲劇』をつくり上げて報じる傾向がある」「マイクに応じない“声なき声”を
もっと拾ってほしい」と、より多角的な報道を求める声が相次いだ。

課題を突きつけられたテレビ側。福島中央テレビの村上雅信記者は
「東京から出る(原発の)ニュースは福島の現実から離れている。ローカルの声を
東京(全国)の人に伝えたい」と地方局の気概を示した。対立や分断を生まないよう
著作で解決策を示してきたという武田さんだが、「問題は結局、解決できていない。
もう一度挑戦します」と率直に締めくくった。 
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いかがでしょうか?

『テレビや新聞の既存メディアは、全て終わっている』と否定しすぎても危険ですし、
ネット依存になっても同様の危うさがあるように感じます。
もちろん全てを諦めて何もチェックしない、気にしない人達は、
果たしてどうなのかな、、と。

「絆」や「繋がろう」、「ひとつになろう」、、、そんな言葉が懐かしく感じます。
個人的には、あまり好きな言葉ではありません。

情報を追いかけたい人、自分の子どもを守りたい人は、
信頼の出来る専門家、ジャーナリストを自分で探す事も大切です。

そして、この手の話しを真剣に出来て意見交換が出来る身近な存在も大切です。
昨日、『ホトリニテ』のなおきくんと、そんな話しもしていました。
小さい古民家カフェで話す事じゃないと言われそうですし、隣の席の女性など
困惑させてしまった可能性も否めませんが、、、。

原発事故から時間が経過すればする程、外で『原発』というキーワードを口にする事を
躊躇してしまう人も少なくないと思いますが、まだ何も終わっていませんので。。。