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娘の携帯電話

朝から泣きそうになった記事です。

是非、読んで下さい。


▼『大丈夫?私は避難中…娘の携帯電話2年ぶり発見
読売新聞 2月21日(木)8時19分配信

東日本大震災津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市で、
多くの犠牲者を出した市民会館の解体作業が始まり、
犠牲者の物とみられる遺品が相次いで見つかっている。

遺品の中には、家族の無事を案じて送信したメールが残ったままの携帯電話も。
震災から2年を前に思いがけず遺品を受け取った遺族らは、
「生き残ったみんなで頑張ってというメッセージだと思う」と涙を流した。

市民会館は市役所向かいにあり、市の指定避難所になっていた。
3階建ての建物は津波にのまれ、避難したとみられる約70人の市民や市職員が犠牲となった。

解体工事は17日から始まり、館内では携帯電話やカメラ、時計などが見つかっている。
今月10日頃には、工事の準備で館内のがれきを片づけていた作業員の男性(53)が
入り口付近で携帯電話を発見。

浸水したはずだが、防水機能が付いており、電源が入った。

携帯電話の持ち主は、同市の課長補佐だった福田晃子(こうこ)さん(当時53歳)だった。
画面には、避難する際に家族の安否を気遣って送信したメールが残されていた。

津波が到達する3分前の2011年3月11日午後3時22分、
晃子さんは夫の利喜さん(54)に「大丈夫? 私たちは(市役所前の)館のおき(沖)公園に避難中」と
知らせるメールを送信。同3時には次女有里さん(24)にも「大丈夫?」とだけ記したメールを送り、
同21分には電話をかけた履歴も残されていた。

携帯電話を受け取った晃子さんの父・金沢善郎さん(82)と母・雅子さん(78)は
「この電話には娘の魂が残っている」と言い、電話を握りしめた。

善郎さんは「毎年、私の誕生日にはゴルフウエアや靴下をプレゼントしてくれた」と
優しかった娘を思い出し、涙を浮かべた。

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また、この記事には、『娘の携帯電話に見入る、金沢善郎さんと雅子さん』と題して、
昆愛海ちゃんのあの写真を撮影した、カメラマン立石紀和氏の写真が添えられていました。