「テレビ好きだな〜」と言われそうですが、嫌いじゃないです。
くだらなくしょうもない情報を垂れ流す事が多いテレビですが、
素晴らしい番組も少しはあります。
必死で頑張っている番組制作の方々も居ます。
特に震災以降のNHKは頻繁にチェックしています。
同時に、HDレコーダーにも本当に感謝しています。
今週の火曜日、26日に放送されました、特集ドラマ『ラジオ』。
東日本大震災の被災地・宮城県女川町。ここに今も放送を続ける臨時災害放送局がある。
震災の一か月後に地元の人たちの手で作られた「女川さいがいFM」である。
このドラマは、地域に必要な情報を届けようと集まった、
高校生など若いスタッフと地元の皆さんをモデルにしている。
他の番組を録画していて、偶然このドラマの存在を知ったのですが、
「おっ!」と思いすぐに録画の予約を入れました。
この日の事はBlogにも書かせて頂いた、あのダメダメdayだった時です。
リアルタイムで観る事が出来なかったので、
昨晩、冒頭の世界観、質感だけでも〜と軽い気持ちで・・・。
しかし、とんでもない質感と温度と言葉。
「これは・・・」と気持ちがざわざわしてきました。
途中で一旦停止して、その後一気に観ました。
某ちゃん役の刈谷友衣子さんがHPで、こんな事を言っていました。
〜「震災ドラマではなく復興ドラマにしたい」と原作の某ちゃん、脚本の一色さんに言われました。〜
(【原作】某ちゃん。【脚本】一色伸幸氏【演出】岸善幸氏・テレビマンユニオン)
震災ドラマではなく、復興ドラマ。
この一言に、完全にやられました。
震災以降、様々な映画やドキュメント、ドラマが作られ上映、放送されてきました。
もちろん、全てを観ている訳ではありませんが、そこそこはチェックしている方だと思います。
映画以外のテレビで放送された震災関連のドラマの中、
それ意外の普通のドラマと比べても、そのクオリティーの高さはダントツです。
ここ数年でナンバー1だった、ドラマ『モテキ』に匹敵するか、あるいはそれ以上でした。
ちなみにナンバー2は、ドラマ『外事警察』です。
偉そうな事は言えませんが、映像の温度、カメラ、台詞、音楽、音、出演者の方々の演技、
どれをとっても素晴らしい過ぎるのひと言でした。
この手のドラマで泣いてしまう事は多々あるのですが、
昨日ふと気付いたのは、自分の涙の温度が変わった?
そんな事に気付きました。
それは、震災から2年が過ぎて、自分の中でモヤモヤしたり、無力さ、むなしさを感じ悩み、
自己嫌悪になり、友人や知人にその辛さを吐き出し、それでも訳が分からなくなり、
なんとかごまかしごまかし、生きている時に流れた涙だったからかも知れません。
しょっぱさはいつも通りだったのですが、いつもより温かい涙でした。
不思議なものです。
「DVD化して下さい!」とネット上での反響も凄いとの事です。
私はこの作品を映画館のような大きなスクリーンで観たいと思いました。
最後に番組のHPから、
脚本家の一色伸幸氏と某ちゃん役の刈谷友衣子さんの言葉を転載させて頂きます。
<脚本家のことば 一色伸幸>
あれだけの痛みを、人々はどう乗り越えていくのか?
東日本大震災の被災地に興味を抱き、各地を訪ねるうち、女川さいがいFMのみんなと親しくなった。
彼らのポジティブさに惹かれながらも、僕は被災地のドラマや映画を書くことはないだろうと考えていた。
話を交わすほどに、自分が部外者であることを突きつけられる。
外から目線で同情して泣き、口先で応援することにも意味はあるだろうけど、
照れくさいし、失礼だとも感じた。
一変したのは、FMメンバーの某ちゃんのブログとの出会いだった。
被災者の率直な感情。怒り、悲しみ、喜び、笑い。
すべてがナマの、しかも震えるほど美しい言葉たちだった。
「この文章を借りれば、外からではなく、被災地の内側からの発信ができる」
昨年12月、某ちゃんの家に一週間お邪魔して、彼女やご家族、FMのみんなと語り、笑いながら脚本を書いた。
従来の被災地ものとは大きく異なる、ロックやパンクが鳴り響く軽やかな青春ドラマだ。
確かに悲しい場所だけど、確かにみんな生きている。いっぱい泣いた分、いっぱい笑いながら。
パソコンのキーボードを叩いたのはたまたま僕だったけど、ドラマ『ラジオ』は、みんなで書いたものだ。
<某ちゃん役 刈谷友衣子>
脚本を読んで、不安になったり笑顔になったり、泣いたり、そんなのは初めてでした。
某ちゃんのブログにはよりいっそうパワーがあって、だからこそすごく、こわかったです。
この役を演じることに最初は正直戸惑いました。
某ちゃんのブログ、女川のこと、3.11のこと、被災地に住んでいる人にしかわからないこと、
どのくらいの大きさなのか計り知れないけど、ドラマという形で少しでも多くの方に届けることができるなら、
役者として演じることを全うしよう、と思いました。
女川に立つと、目の前の現状とは裏腹に時間はおだやかにおだやかに流れているように感じました。
私は、震災前の女川も、震災直後の女川も、想像することしか、写真でしか得ることができませんが、
某ちゃんとして、そこに居たいと、ただただそれだけでした。
「震災ドラマではなく復興ドラマにしたい」と原作の某ちゃん、脚本の一色さんに言われました。
少しでも多くの人の心に届けることができるのなら幸いです。
そして、撮影でお世話になった女川町の方々本当にありがとうございました。
(THEイナズマ戦隊/"応援歌" Live Version)
本当に素晴らしい作品を有り難うございました。