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岐阜方面リポート3〜『打ち上げと最終日』

長くなって申し訳ありませんが、これで完結です。

まだINOMATA氏のMIXCDが流れています!


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・7月15日(日)の続き

イベント終了後、片付けをして、私も何度かお世話になっている左近の友人のBarへ。

プチ打ち上げです!

R&S、現『CLOUD』です。肩書きは「天ぷら Dining Bar」に変わっていましたが、
内装は変わらず、少し店内は明るくなったかな〜と。


(2012年07月15日 『CLOUD』にて〜RICOH CX4)

もうビールでお腹が、、、という感じでしたので、
普段呑まないような洒落たお酒をオーダーしている人もちらほら。

そして、さらに普段食べないような肉をオーダーしてみました。

和牛のタタキ、バルサミコ酢的な逸品です。


(2012年07月15日 『CLOUD』にて〜RICOH CX4)

正直、美味しかったです!
お店のシェフが変わったと聞いていましたが、、、。
と、いう程、ここで食事をした事もないのですが(苦笑)。

実はここでは、ちょっとしたドッキリ企画を水面下で企画していました!
無事大成功だったのですが、動画が撮れていなく、もちろん写真も。。。
同席してくれた方々の心に刻んでもらえれば幸いです。

antennasiaのお二人を左近邸に案内し、残った人達で、また『どくだみ草』へ。
前日に、あのラーメンを食べる事が出来なかったINOMATA氏の希望もありつつ。


(2012年07月15日 『どくだみ草』にて〜RICOH CX4)

名物、高山ラーメンです!煮干しの出汁が香るあっさり味!
夜中でも、ペロッと食べれてしまいます。

よ〜く観ると、、、この2人、ボーダーでした。

2人同時に撮っています。


(2012年07月15日 『どくだみ草』にて〜photo by INOMATA RICOH CX5)

食べています。あまりの美味しさに笑っています!


(2012年07月15日 『どくだみ草』にて〜RICOH CX4)

スープを堪能しています。


(2012年07月15日 『どくだみ草』にて〜RICOH CX4)

以前新潟で、jacobが案内してくれた中華そばの名店『三吉屋』も最高でしたが、
このラーメンも、なかなかです。居酒屋で出すクオリティーじゃないです。

ちなみに私は、半分だけ頂きました。前日も食べていますので。。。

気付けば朝の5時、外はうっすら明るくなっていました。


・7月16日(月)

イベントの疲れもあったので、少しゆっくり休ませてもらい、全員でお風呂へ。
しかし、外は相変わらずの気温と湿度、、で、、、露天風呂で目眩がする程でしたが、さっぱり!

その後、左近のオススメの庶民的だと連呼していた、お蕎麦屋さん『更科』へ。


(2012年07月15日 『更科』にて〜photo by INOMATA RICOH CX5)

外観は庶民的と言うよりは、ちょっと高級感があるような、無いような。。。

ここで、突然左近の彼女が合流してくれました。
仕事の関係でイベントに来れなかったので、久々の再会でした。


(2012年07月15日 『更科』にて〜RICOH CX4)


(2012年07月15日 『更科』にて〜RICOH CX4)

一押しの冷やしたぬき蕎麦が、こちらです!


(2012年07月15日 『更科』にて〜RICOH CX4)

私はお米が食べたかったので、カツ丼を。値段は、650円と庶民的です!


(2012年07月15日 『更科』にて〜RICOH CX4)

暑い岐阜にはぴったりの濃いめの味付けでしたが、美味しかったです。

その後、旅の締めくくり。
念願だったかき氷の名店『赤鰐(あかわに)』へ行く予定でしたが、
時間の都合上、昔懐かしいアイス最中が食べられる『平工(ひらく)』に。


(2012年07月15日 『平工(ひらく)』前にて〜photo by INOMATA RICOH CX5)

お持ち帰りで、みんなで食べましたが、びっくりする程シンプルで美味しい最中でした!!

こちらが、バニラです。


(2012年07月15日 左近邸にてアイス最中〜RICOH CX4)

さらに、あずきです。


(2012年07月15日 左近邸にてアイス最中〜photo by INOMATA RICOH CX5)

しかも1つ50円だそうです。。。これにも驚きました!


その後、antennasiaの2人を見送り、私達は20時台の電車で帰路へ。

帰宅は0時になっていましたが、今回の良いイベント+最高の旅でした!

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主催者の左近、共演が念願だったantennasiaのNerveとsan、
御馴染みINOMATA氏、うみこさん、donuさんとみほねえ、jacob、
ko-saburo、Y1490、小唄、左近一家の方々、お手伝いしてくれたスタッフ、
遊びに来てくれた方々、本当に有り難うございました!!

全ての人に、感謝致します!!

※ここで使用出来なかった写真は、nue's fotolifeにアップしてありますので、合わせてチェックしてみて下さい。

破滅

おはようございます。

朝からハードなタイトルですが、ブログを通常に戻します。

急な暑さにまだ身体が慣れず、ほぼ眠れないまま朝でした。
今期は、さらに対策を考えないと危険だなと感じています。

岐阜方面のリポートが続きましたが、
缶バッチに込めたメッセージとリンクする記事を朝イチで読みました。

メモしておきます。


(「破滅」と書かれた画用紙を看板の手前で掲げて、自ら25年前の標語を訂正した大沼勇治さん=福島県双葉町で)

▼『26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔』
東京新聞 2012年7月18日 07時14分 

原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。
二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。
大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、
自ら標語を「訂正」した。

大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、
現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。
原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに
鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。

大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、
看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。
ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。

しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、
テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。
脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。

夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、
標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。
すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。
原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。

大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。
日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)

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地元での「安全神話」。

他の原発立地地域が同じ事を繰り返さないように、、と願います。

原発事故で故郷を奪われる〜」。
福島県飯舘村長泥地区もその1つです。

放射線量が高い長泥地区は村で唯一、
5年以上帰還不能で立ち入りも制限される「帰還困難区域」に指定され、
17日午前0時、国の原子力災害現地対策本部職員らの手によって閉鎖されました。

ご先祖が眠るお墓、先代が耕してくれた農地など、、、。

「自分の実家が。。。故郷が。。。」と一度想像してみて下さい。

この記事の詳細はこちらでチェック出来ます。
▼『飯舘・長泥地区「帰還困難」に 荒れる故郷、墓前に別れ
河北新報 2012年07月17日火曜日

飯舘村の避難区域見直し] 
2011年4月、全域が計画的避難区域に指定され、全村民が避難している。
今回の見直しで、村内20地区は放射線量に応じて「帰還困難区域」(年間50ミリシーベルト超)、
立ち入りは自由にできる「居住制限区域」(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)、
早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(20ミリシーベルト以下)に再編された。
帰還困難区域は長泥地区のみで制限区域は飯樋など15地区(1662世帯5262人)、
準備区域は大倉など4地区(208世帯795人)。
帰還困難区域は午前8時〜午後5時に限り立ち入りできるが、宿泊はできない。

四号機 使用前燃料取り出し(重要)

明日19日という話がありましたが、
先程使用前燃料取り出し作業を開始したそうです!

▼『福島第一原発4号機 使用前燃料取り出し』
NHK 7月18日 11時49分

東京電力は、福島第一原子力発電所で最も多くの燃料が保管され、
原子炉建屋の耐震性が懸念されている4号機のプールで、
今後の廃炉作業に向けて
使用前の燃料を試験的に取り出す作業を始めました
燃料の取り出しは去年3月の事故後初めてで、
東京電力は燃料に損傷がないか確認することにしています。

東京電力は18日午前中から4号機のプールに保管されている使用前の燃料204体のうちの
1体を試験的に取り出す作業を始めました。
作業では、燃料をプールからクレーンを使ってつり上げ、東京電力は、
近く2体目の燃料も取り出す計画です。プールで燃料を取り出す際には、
強い放射線を出す使用済み核燃料を誤ってつり上げないために、
水中カメラで撮影したり放射線量を測定したりしているということです。

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取り急ぎ。

ちょっと色々調べてみます!

燃料取り出しのスケジュールを教えない理由

続きです。

毎日新聞の記事です。

▼『<福島第1原発>4号機燃料 試験取り出しを開始』
毎日新聞 7月18日(水)12時49分配信

東京電力は18日午前、福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールに保管している
未使用燃料2本について、試験的な取り出し作業を開始した。
東電は、燃料の腐食や破損の状況を調べたうえで、来年末までに本格的な燃料回収に着手する方針だ。
事故後、燃料を取り出すのは初めて。

東電
核物質防護上
スケジュールなどの詳細は答えられない」
としている。

回収作業は、建屋上部の核燃料プール近くに設置した仮設クレーンを使い、
水面から約7メートル下にある核燃料を取り出す。
燃料は専用の輸送容器に入れ、クレーンで地上に降ろして原発敷地内の共用プールへ運ぶ。
未使用燃料は使用済み核燃料より発熱量が小さく、放射線量も低い。

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『核物質防護上、スケジュールなどの詳細は答えられない』、、だそうです。

先程のNHKの記事では、1本だったのですが、毎日新聞は2本取り出すを書いてありますね。

熱中症対策

扇風機をまわしても、室温が30度以下になりませんね。。。
もちろん、エアコンは未使用です。

それにしても、なかなかの暑さです。
岐阜で、少しはリハビリしたかなと思ったのですが。


こんな時は、こんな物が欲しくなります。

ちょっと食べにくそうですが、、そんな気分です。

みなさんも熱中症をあまく考えず無理せずに!


私はクエン酸入り梅ジュースでも飲みつつ、氷枕でブレイクします。

明日もう1本(体)取り出します

四号機 使用前燃料取り出しの続きです。

メモしておきます。

▼『福島原発4号機燃料を容器に収納 東電、19日にもう1体』
東京新聞 2012年7月18日 18時23分

東京電力は18日、福島第1原発4号機の燃料プールから取り出した未使用燃料1体を、
専用の輸送容器に収納する作業を終えた。

東電は核物質防護を理由に作業状況を一切明らかにしていないが、
関係者によると、放射線量を測定しながら慎重にプールから取り出した。

燃料の外観や線量に大きな異常はなかったという。

容器には2体の燃料が入るため、19日に取り出すもう1体を収納した後、
プールのある原子炉建屋5階部分からクレーンで地上に降ろし、
原発敷地内の共用プールがある建物まで車両で運ぶとみられる。

東電は8月から取り出した未使用燃料2体の調査を始める。

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今日のところは事故もなく、終了したとの事です。

1本ではなく、この記事では、1体となっていますが、
結果、明日も取り出す作業をするようです。。。

念のため、風向きには注意して下さい。念のため。。。