opuesto / Tate’s Official Blog

I have the right to know the truth and i must protect the children's future.

焼き

ここ数日、さらに日差しが強く感じる今日この頃です。。。

先週の記事ですが、素敵な活動を知ったのでメモさせて頂きます。


被災地ボランティアの経験を神奈川県の防災に役立てようと作成したマニュアルと鈴木さん=横浜市西区で)

▼『たい焼きで被災者に笑顔 1年半で2万個配布』
東京新聞 2012年9月5日 夕刊

東日本大震災の1カ月後から1年半になる今も、被災地で出来たてのたい焼きを無料で
配る活動が続けられている。任意団体「神奈川災害ボランティアステーション」代表の鈴木幸一さん(64)
横浜市栄区=がボーイスカウト仲間らとこれまでに配った数は約2万個。
「たい焼きを渡すとみんな笑顔になる。2万個分の笑顔をもらった」と鈴木さん。
新たな笑顔に出会うために9月も被災地を訪ねる。 

たい焼きを焼くテントは、どこでも長い列ができる。

無心にほお張る子どもたち。五十歳ぐらいの女性は震災直後を思い出し、涙を流しながら食べた。
寝たきりで動けないお年寄りのために土産に持ち帰る人、亡くした家族のお供えにする人…。
焼くのを手伝った子どもたちが自分で食べるよりも先に、避難所のまとめ役やお年寄りに
たい焼きを配る姿に、鈴木さんの心は震えた。

震災直後から日赤の防災ボランティアで心のケア調査班のドライバーを務めた。
被災地を回り、食料が避難所に届いていない状況を目の当たりにした。
自宅に戻って支援の方法を考えていた時、たい焼き用の鉄板があったことを思い出した。

長年のボーイスカウト活動で築いたつながりを頼りに、地元横浜や被災地で協力を呼び掛けた。
「たい焼きプロジェクト」と名付け、ボランティアセンターの求めに応じて各地に赴いた。

甘いもの、温かいものがなかった震災直後はたい焼きはごちそうで、二枚の鉄板で一日最高七百個。
五日間で三千百個を焼いたこともあった。「準備や調理時間が短く、二日くらいたってもおいしい。
たい焼きは、完璧な非常食だった」

国鉄職員で、現在はドライバーなどをしている。仕事の合間を縫って月に一、二度、
被災地でたい焼きを焼く。費用は、五年前に個人で設立した「青少年社会貢献事業推進基金」で
販売する防災グッズや「たいやきシール」(一枚百円)の売上金などで捻出する。

シールなどの売り上げを増やすことができれば、被災者が生活再建するまでの間、
一時的にたい焼き店を開店する支援に回す。雇用を創出するため、
八百万円集めることが今の目標だという。

被災地を回り、自主防災組織の必要も痛感した。震災や津波から生き延びても、
仮設住宅ができるまでに低体温症などで約千四百人が亡くなった。反射鏡などで火をおこし、
大鍋で湯を沸かしたり鍋料理をつくれば低体温症が防げたはずだ。

地域ごとに取り組めるようこうした知識を伝えたいと考え、
「地域防災力強化、市民防災訓練企画・運営マニュアル」(九十六ページ)を独自に作成した。
組織づくりや避難所運営の方法、ペットボトルを使った簡易トイレといった身の回りのものでできる
非常時の対応などを掲載した。「首都圏での地震では、さらに被害は大きくなる。
自主防災組織をつくってきちんと備えてほしい」と願う。

たい焼きプロジェクトやマニュアルの問い合わせは、鈴木さん=電090(8170)6337=へ。

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素晴らしい活動です!!


個人的な余談ですが、たい焼きも好きですが、お好み焼きも大好きです。
この1週間で何度食べたか、、と思う程です。
昨晩も自宅で山芋を入れ美味しく仕上げていました。

歯痛からも解放されましたので、さらに好物な、イカ天入りの広島焼きを。
このイカ天が、、、歯痛の時は食べる事が出来なかったもので。。。


(2012年09月07日 お好み焼き屋にて〜RICOH CX4)

食べてばかりいないで、被災地の為に、被災者の方々の為にさらに出来る事を考えて行動します。

私のブログを読んでくれている方々にも、『何が出来るか?』を再度考えて欲しいと思い、
このたい焼きの記事をピックアップさせて頂きました。


さて、今週も乗り切ります!