先週の土曜日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』へ行ってきました。
初めての弁護士会館。
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
一階エントランスホールに120枚弱の写真が展示されていました。
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
その中でも気になった写真を数枚紹介させて頂きます。
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
介護施設にいた妻は入居者を運び出そうとし、津波にのみこまれた。
遺体が発見されたのは地震から二日後。夫は妻の消息も分からないまま、
避難所で介護の仕事をしながら妻の捜索を続けてきた。
妻を前にした彼は「ウオーッ」という叫び声を上げ、しがみつきながら
何度も泥のついた頬を擦り合わせた。「子供らは俺がちゃんと育てっからな」。
妻の顔を拭いながら、そう話しかけた。後日、私に彼から連絡があった。
「本当に、何も残っていないんですよ。この写真だけが、私たち夫婦の唯一の記録なんです」
〜2011年03月13日、宮城県南三陸町(撮影:野澤亘伸)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
ゴーストタウンになった町では、見捨てられ、飢えた犬が野犬になっていた。
〜2011年04月07日、福島県双葉町(撮影:森住 卓)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
帰宅困難区域に指定されている大熊町の民家の蔵に保管されていた猫の死骸。
福島第一原発事故直後の避難時、家の住民はペットの猫(四匹)と犬(一頭)を
置き去りにせざるを得なかった。三ヶ月後、ペットの引き取りに戻ると、
生き残っていたのは犬だけだった。
〜2014年05月20日、福島県双葉郡大熊町(撮影:佐藤 文則)
(2016年03月05日『あれから5年〜3.11 東日本大震災写真展』〜iPhone)
被災地のスリッパをオートラジオグラフィーで視覚化しました。
福島第一原発事故で帰宅困難区域になった浪江町にあったスリッパを
8x10インチのTR-Xフィルムを二ヶ月間密着されたら放射線のエネルギーが
感光しました。セシウムなどの放射性物質の粒子が放射線を出し、白く光っています。
〜2013年(撮影:森住 卓)
※オートラジオグラフィーとは…
放射線写真法やオートラジオグラムとも呼ばれ、分布している放射性物質から放出される
ベータ線粒子やガンマ線から画像(オートラジオグラフ)を作成する手法である。生物学に
おいては、放射性物質が特定の組織に滞留することを確認する手法として用いられる。
放射性物質は、代謝系経路に導入されたり、レセプターや酵素に結合したり、核酸に
組み込まれたりする。オートラジオグラフの撮影のために、放射性アイソトープで
ラベルされた組織部にフィルムや乾板をあてる。
展示されている全ての写真が一冊の写真集になっており、
質感も良く、値段も700円とお手ごろな価格でしたので購入させて頂きました。
ちなみに写真集は、あの有名な通販サイトでも購入出来ると伺い検索してみましたが、
取り扱っておりましたので、興味のある方は是非チェックしてみてください。
「あれから5年〜3.11 東日本大震災」と検索するとヒットします。
今年は5年ということもあり、様々なところで多様なイベントが開催されていると思います。
是非チェックして、足を運んで考えてください。
目を背けたくなることもあると思いますが、現実と向き合うことが重要です。
他人事ではないことを忘れないでください。
この写真展は10日(木)まで開催されています。