是非、じっくり読んで欲しい記事です。
▼『震災遺児、遅れがちな心のケア「悲しみは乗り越えなくていい」』
カナロコ by 神奈川新聞 3月3日(月)11時15分配信
・NPO法人子どもグリーフサポートステーション代表 西田正弘さん
JR仙台駅にほど近いビルの一室、子どもたちが輪をつくって座っている。
「学校で何人家族って聞かれたとき、どうしてる?」
「面倒だから、いないお父さんも入れて4人家族って答えてるよ」
親しい人との死別による「グリーフ(悲嘆)」を和らげる
手助けをするグリーフケアの一コマだ。
集まっているのは東日本大震災で親を失った遺児たち。
胸にしまい込んだ思いを順番に口にしていく。
NPO法人子どもグリーフサポートステーション(CGSS)による
このプログラムには、ルールがある。言葉にされた気持ちを否定することはしない。
誰かが「きのうリストカットしちゃった」と打ち明ける。
「そんなことをしちゃ駄目だよ」とは言わない。
「どうしてやろうと思ったの?」
「どんな気持ちがした?」
寄り添うとは、まず耳を澄ますことだ。
「悩んでいるのは自分だけじゃないと知ることで、安心して心境を明かせるようになる。
必要なのはそうした場です」。支え、支えられる関係、その一歩を見守る。
でも、誰もが思いを口にできるわけではない。
「復興のため前を向こうという空気の中、気持ちを押し殺して
過ごしている子どもは少なくない」。悲しいのはみんなそうだ。
自分だけ悲しむわけにはいかない。
一度に大勢の命が失われた被災地だからこその葛藤。
同じフロアの別室からは、ストレスの発散にと用意された
ボクシングのサンドバッグをたたく音が聞こえてくる。
あの日から間もなく3年。
「当時、幼稚園児だった子が小学生になり、ようやく理解する。
『お父さんは本当に帰ってこないんだ』と。そうして泣きだすのです」
まだ、3年−。
■乗り越えなくていい
プログラム開始は2010年12月。
事故や自殺で親を亡くした子どものサポートのためだった。
遺児支援に30年以上携わってきた身として、助言役を頼まれた。
震災はその3カ月後。代表に就き、横浜市旭区の自宅と仙台を行き来する日々だ。
支援の現場でよく尋ねられる。
「どうしたら死別の悲しみを乗り越えられるのですか」。
答えは「乗り越えることを目指さなくていい」。
乗り越えるなんて、自分にもできはしなかった。
12歳のとき、父親を交通事故で亡くした。
日曜日の夕方、工場の夜勤に向かう途中、トラックにひかれた。
「行ってきます」という言葉が嫌いになった。
そう言って玄関を出ていく母や兄や姉も、
父のように戻ってこない気がして、怖かった。
父が逝った49歳を迎えるときには「自分の人生も終わる」と考えるようになった。
「生きている意味なんてあるのか」
いまも命日が近づくたび、死に顔を思い出す。
母の背中越しにのぞいた父は、口をポカンと開けたままベッドに横たわり動かなかった。
グリーフケアのゴールは、亡くなった人について話せるようになり、
死別の意味を見いだせるようになることにある。
「私は父の死があったからこの仕事に就くことになった。
きっと無駄ではなかったと思えたとき、悲しみを含めて
これが私の人生だと肯定できるようになったのです」
乗り越えるのではなく、抱きしめる。
「そのためにできるのは考える場の提供。人生は人それぞれで、悲しみもそれぞれ。
私が同じ境遇だからといって、自分はこうしてほしかったということを
すれば押しつけになってしまう」
自身は、小説の世界に似た境遇の登場人物を探し、あるいは大学時代、
遺児寮の仲間と過ごす日々に安らぎを見いだしてきた。
■遅れやすい心のケア
内閣府によると、震災で親を亡くした子どもは岩手、宮城、福島の
3県で1724人。うち241人は両親とも死亡している。
食欲が落ち、眠れなくなり、勉強の意欲も湧かなくなる。
影響は子どもの心身に及ぶ。
「もっとも体調や言動の変化は病気ではなく、当たり前の反応。
でも、ケアを受けずにいれば、将来に希望を見いだせなくなり、
日常生活を円滑に送れなくなる恐れがある」
震災が奪ったのは親だけではない。
住まいや地域のつながり、思い出の品々に習い事…。
当たり前だった暮らしを取り戻すのに精いっぱいで、
心のケアは遅れがちだ。
親だけでなくきょうだいや祖父母、友達を亡くした子どももいる。
「大切な人を失ったことに変わりはない」
親が行方不明のままの子どももいる。
「大人たちは慰めのつもりで『早く遺体が見つかるといいね』
『生きているはず』と言う。でも、本人は逆のことを思っているかもしれない。
周りが決めつけてしまったら、子どもは思いを伝えられなくなる」
3月11日が近づく。
「頑張ろう日本」の声がまた大きくなっていく。
「私はあの言葉、大嫌いなんです」
静かだった口調がそこだけとがった。頑張る?
誰が、何を、これ以上どうやって?
そもそも大切な人が津波にさらわれるとは、どういうことであったか。
男子中学生は父を亡くして以来、学校に行けなくなった。
スタッフが何度も出向き、散歩に誘った。一緒に歩く。ただそれだけ。
一日また一日と同じ景色をともにした夏の日、男の子はつぶやいた。
「ここはお父さんと釣りをした場所だ」
初めて口にした父との思い出。震災から2年半がたとうとしていた。
「大切な人を衝撃的な失い方で亡くすと、その死にざまに圧倒され、
死んでいる姿ばかりを考えてしまう。この子の場合、父が生きていた
という過去、自分とのかかわりをようやく再確認し、肯定できたということです」
男の子はいま、部活動の剣道にだけは通えるようになったという。
●にしだ・まさひろ
1960年生まれ。国学院大卒業後、交通遺児育英会を経て2011年まで
あしなが育英会に勤務。NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの立ち上げに携わった。
東日本大震災中央子ども支援センター外部アドバイザー。
共著に「死別を体験した子どもによりそう〜沈黙と『あのね』の間で」(梨の木舎)など。
◆NPO法人子どもグリーフサポートステーション
東日本大震災や事故、病気などで親を亡くした子どもをサポートしている。
仙台市を拠点に月1、2回遺児を対象に開かれる「ワンデイプログラム」では、
思いを語り合うほか、おもちゃで遊んだり工作をしたりして約3時間を過ごす。
プログラムは岩手県陸前高田市でも行われており、これまで15歳までの
子ども約60人(延べ約400人)が利用。泊まりがけのキャンプや保護者向けの
相談対応、ファシリテーター(ボランティアスタッフ)の養成講座も行っている。