opuesto / Tate’s Official Blog

I have the right to know the truth and i must protect the children's future.

意識〜2/2

突然の雷雨から一転、

最上級の気候になっています。

 

この感じは、

年に一回あるか無いかです。

 

 

ちょっと一段落したので、

例のBlogの続きを書かせて頂きます。

 

”何故、私がこんな人間になったのか?”

 

一言で言えば‥

父親の影響です。

 

私が生まれ育った、

栃木県足利市は、

昭和22年(1947年)9月15日に

カスリーン台風の影響で

市の中心部を流れる

渡良瀬川が氾濫しました。

 

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渡良瀬川岩井地区等の堤防決壊、死者252人、行方不明67人、倒壊家屋328戸、流失家屋372戸、床上浸水11,976戸、床下浸水5,773戸。

※参考資料はこちらです。

 

父親は昭和12年生まれなので、

当時、10歳で被災しました。

 

実家は、周囲の家に比べて

かさ上げをした土地に建っています。

 

小さい頃、

庭の緩やかな坂で、

スケボーをして遊んでいる時に、

「なんでうちには坂があるの?」と

聞いた記憶があります。

 

かさ上げの経緯、

渡良瀬川が氾濫した当時の話を

聞かされました。

 

 

その後も、

台所には謎の一升瓶が沢山並んでいました。

 

それは水道が止まった時用の

非常水だと東日本大震災の後に知りました。

 

防災に関して、

父親からハードに教育された訳ではなく、

”かさ上げ” と ”渡良瀬川の氾濫の話” のみで。

 

大人になってからは‥

阪神・淡路大震災

そして東日本大震災‥。

 

台風、大雨などの水害や、

火山、地震災害も‥。

 

様々な自然災害から、

沢山のことを学びました。

 

そして、

それをどう活かすのか‥

 

防災・減災について、

日々考えています。

 

その結果‥

こんな人間になってしまいました。

 

 

5月7日に更新しようと思っていたのは、

父親の誕生日だったからです。

 

生きていたら、今年で81歳‥。

 

正直、81歳の父親が想像出来ません。

 

亡くなって7年が経過しましたが、

「もしかして、あの時の言葉は‥」と、

思い返して、腑に落ちることがあります。

 

 

自分が亡くなった後も、

行動や言葉が残る父親‥。

 

癖が強く、個性的で

周囲に反発し馴染めず、

晩年は孤立していましたが、

その意味も、

少しだけ理解できるようになってきました。

 

「父親のようにはなりたく無い」と

強く思っていましたが、

自分がこの先、

どうなって行くのか‥。

 

それはまた‥

ふと何かを感じた時に

書きたいと思います。