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I have the right to know the truth and i must protect the children's future.

校長先生からのメッセージ

メモしておきます。

石巻市の校長先生からのメッセージです。



(朝礼で生徒たちに語りかける畠山校長
宮城県石巻市北上町十三浜の市立北上中の体育館で2013年3月4日午前8時34分、林奈緒美撮影)

▼『<東日本大震災>忘れず語り継いで…石巻の中学校長、定年へ』
毎日新聞 3月4日(月)12時0分配信

宮城県石巻市立北上中学校の畠山(はたけやま)卓也校長(60)は
県外の人々に震災の教訓を受け止めてもらおうと、この2年近く被災した現場を案内してきた。

同中は、児童と教職員の84人が死亡・行方不明となった大川小の対岸に建つが、
高台にあったこともあって犠牲者が一人もいなかった。

今月末で定年退職する畠山校長は4日の朝礼で、
「震災を忘れず伝えていってほしい」と生徒たちに思いを託した。


 ◇84人犠牲の大川小対岸…500人超を案内

北上中は大川小の北約2.6キロ。同小が北上川右岸の平地にあるのに対し、
同中は左岸から少し上った高台にある。津波は校舎まで来なかったため生徒は全員無事だったが、
「犠牲者がいなかったのはたまたまだった」と畠山校長は振り返る。

11年3月11日、北上中は卒業式を翌日に控え、3年生は先に下校、1、2年生は学校の体育館に残っていた。
震災発生時、3年生14人を乗せたバスが北上川沿いの国道398号を走っていたが、
ある男子生徒が「学校に戻りたい」と言い出したため来た道を引き返した。

濁流が北上川をさかのぼり、大川小校舎や避難途中の児童をのみこんだのは、
バスが学校に着いて間もなくだった。戻っていなければ、バスが被害にあった可能性がある。

震災から3カ月が過ぎたころ、県外の人から被災地でボランティアをしたいと相談を受けるようになった。
そんなこともあって「何が生死を分けたのか。現場を見て何かを感じてほしい」と
被災した現場に案内することを決めた。

休日を使い、2年近くで高校生やボランティア団体など500人を超える人々を
大川小に案内し震災の記憶を語った。

さらに2階建て庁舎で54人が死亡・行方不明となった同市北上総合支所や、
児童らが3階建て校舎の屋上に逃げて助かった市立吉浜小にも連れて行き、
地区全体で防災に取り組む重要性を訴えた。宿泊場所が無いボランティアとは一緒に校舎で寝た。

校長室には今も広げたままの寝袋やカップラーメンが転がる。

畠山校長は朝礼で語りかけた。
君たちは故郷に生き残った宝。私たちには亡くなった方々の無念を忘れず、伝えていく義務がある。
どこかで災害が起きた時、困っている人を助けられるような力強い大人になってほしい

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私の実家には、卒業時に校長先生から頂いた色紙が飾ってあります。

他人にやさしく 自己に厳しく
(小中学校、どちらの校長先生からのお言葉か、ちょっと忘れてしまいましが)

子どもながら、この言葉は響きました。

実践出来ているかどうかは分かりませんが、
この言葉を忘れずにこれからも生活して行きたいと思います。

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