opuesto / Tate’s Official Blog

I have the right to know the truth and i must protect the children's future.

いじめ問題に関して2人の女性の考えと自分の経験

二日連続で午前中の更新です。

おはようございます。
こちらは今日で夏が終わりそうです。


ちょっと真面目なトピックを取り上げたいと思います。
タイトルにも書きましたが、『いじめ問題』です。
今までこの問題にはあまり触れませんでしたが、以前から「自殺問題」を取り上げて来ましたので、
私なりの切り口で2人の女性の考えをご紹介させて頂きます。

まずは、以前6月にブログで触れさせて頂いた、波瑠(はる)という方の考えです。


(波瑠(はる)という方です)

以下転載で少し長文ですが、彼女のブログから2つ紹介します。

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2012-09-11
『なんでなんだろう。』

みんな、おひさしぶりです。
生きてますよ。ちゃんと。

すごくすごく、この頃考えてて。

わたしはもともと、考えるのが大好きな生き物だから。

ネガティブになってるわけでは決してないんだよ。

自分のこととか、
自分の近くの誰かのこととか、
遠くの誰かのこととか。

言っておきます。
長くなるかも笑

ただ、とても気になるコメントがついていて。黙っていられなくて、
何をどんな風に伝えるのが良いのか、考えて。

けど、出てきた答えが数年前の連載で私が話したことと一貫性があまりなくて、
伝えようか迷ってしまって。

でもわたしの言葉ではみんなを助けることはできないけど、
どこかの誰か1人が助かるならそれはそれでもいいと思っちゃったんだ。

わたしも小学生から中学生にかけての時間で、経験したことだから。

いじめられることの痛さはよく知ってるつもりなんだ。

みんなの笑い声が、自分を笑ってるように、聞こえたし。
悪口を言われたり。

どうしてなくならないんだろう。
わたしがいじめられていた時間から、
もう6年も過ぎてるのに、どうして何も変わらないんだろう。

本当になんでなんだろう。

学校には行きたくても行けなくなるよ、それは本当だよ。

だけど、わたしたちは傷つくために生まれたんじゃないはずなんだよ。

学校なんか行かなくていいとは言えないよ。

だけど、自分を守っていいと思うんだよ。

どうしてなんだろう。

なんでなんだろう?


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2012-09-17
『てくてくとね。あるいてこーよ。』

わたしの投げ掛けに、一緒になって考えてくれて。

とてもうれしかったよ。
やっぱり人間がすきだと思ったよ。

ごめんよ、不謹慎だね。

でもさ、あなたのためにこんなに考えてくれる人がいたんだよ。
わたしの事じゃないのに、すごく感動してるよ。

苦しいのもわかる。
逃げたいのもわかる。

でも負けないでほしいのね。

わかってるよ。
すごく無責任な言葉かもしれないよ。

でも、もし今わたしが、当時の自分に声をかけることができるなら同じことを言うよ。

あと少しがんばれ。
すぐ、素敵な人達に出会うから。
優しくしてくれる、本当にたくさんの人達に出会うから。

しかもその人たちを素敵と思えるのは、傷ついたり苦しんだ経験があるからなんだよ。

わたしは、そう思えたよ。
自分の全部の[今まで]にありがとうって言えるようになろうね。

寝ようと思ったら、雨の音がすごいな。

みんなおやすみ。

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彼女の文章は、距離が近いと言いますか、個人的に好きです。


そしてもう1つは、東京新聞からです。
実際にハードないじめにあった女性の話です。

▼『命絶たず、もがいても生きて 女子高生、いじめ告白』
東京新聞 2012年9月18日 11時16分

首にコンパスの針を刺され、集団リンチを受け、ついにリストカットへ−。
いじめによる自殺が社会問題化する中、小中学時代の九年間継続的に過酷ないじめを受けた
群馬県内の女子生徒(17)が東京新聞の取材に応じ、被害体験を告白した。
今も腕には自傷の痕が生々しく残る。それでもつらい記憶を吐露するのは、
死のふちにいる児童・生徒たちへ痛切に伝えたいから。「自ら命を絶たず、もがいても生きてほしい」と。


■コンパス■

「殺される」

死への恐怖が最初に脳裏に刻まれたのは、小学高学年のある日。
後ろの首筋にコンパスの針先が触れるのではなく、刺し込まれた。

痛みと寒けを感じて振り向くと、いじめっ子の女子児童がいた。
コンパスは隠さず、平然としていた。お互いが無言だった。

中学二年のある時、同じ部活の女子生徒に、部活の集会があると学校近くの公園へ呼び出された。
ところが、いたのは同級生を含めた全て女子生徒の十数人。たたかれ、突き飛ばされ、ののしられた。
最後には、土下座を強制された。

どうして謝罪させられるのか、分からない。大きなけがはなかったが、人間としてのプライドが引き裂かれた。
ひざに泥を付け、泣きながら帰った。自宅で部屋にこもり、涙が止まらなかった。
人が信じられなくなった。誰にも言えなかった。

その後は不登校、そして家出。自宅訪問した教員に、いじめを相談してみた。
教員はいじめ問題を、クラスで取り上げようと持ち掛けた。しかし、拒否した。
「告げ口をしたな」。いじめがエスカレートする恐怖しか考えられなかった。


■死を意識■

中学卒業前、高校の受験会場で、集団リンチに加わった女子生徒に久しぶり会った。

「生きていたんだ」。この一言だけ、浴びせられた。絶句した。
その瞬間、「本気で死にたい」との思いがこみ上げた。心への傷を通り越していた。
人生に絶望した。

高校入学後、いじめはなくなったが、悪夢がよみがえって登校できなくなった。両親は共働き。
部屋に一人でいると、カッターを持っていた。それだけでは、抑えられなくなった。
果物ナイフへと変わった。

一日中、切り続けた。腕から血が四時間滴り続ける日もあった。無数の傷跡が重なった。
孤独だった。無気力だった。重度のうつ病と診断された。


■前向きに■

その後、現在通う高崎市にある私立通信制の第一学院高へ転校。
家出もしたが、いじめ体験を打ち明けられるような友人ができた。

前向きになりつつある大きな理由は、将来の夢ができたこと。
福祉系の大学に入学し、精神保健福祉士の資格を取りたい。
自分のような、いじめでうつ病を発症した人を助けたいから」

そんな女子生徒が、いじめ被害を受ける児童・生徒に語り掛けたいことがある。

「死を選ぶことは、逃げることになる。
自分を必要としている人はきっといるはず。
それを生きて確かめてみてほしい。」

伏し目がちだった女子生徒の視線が前を、そして遠くを、見詰め始めた。
少しずつ、また少しずつ。

ーーーーーーー

"いじめられた人"、
"いじめに加担してしまった人"、
"現場を目撃した人"、
"それを止める事が出来なかった人"。

この4つを考えれば、ほぼ全ての人が当てはまる問題だと思います。
それは今も昔も、、です。

小中学校、高校や大学、社会に出たとしても、いじめはあります。

人間の性とまでは言いませんが、社会的な問題を含んでいると思いますので、
残念ながら無くなる事はないでしょう。

『負のスパイラル』の一種かなと。

特に今、現代社会で全くストレスを感じない人は極わずかだと思います。
例えば、親が会社などで溜め込んだストレスで家庭内が不協和音に包まれ、
その中で子ども達は生活し、ストレスに共鳴してしまいます。
そして、そのはけぐちが学校へ流れる、、、そんな負のスパイラルも考えられます。


「いじめられる側にも問題がある!」と言う人もいます。
私が小中学校の時も、その手の意見を良く耳にしました。

ただ、経験上から言える事は圧倒敵にいじめる側に問題があります。
所謂「弱いものいじめ」が多く見られました。
また、妬みからのいじめも沢山見ました。

私は正直、その頃いじめに限りなく近い嫌がらせも沢山受け、
逆に、他人に対して嫌がらせをした事もあります。

後者に関しては、今でも心残りですし、申し訳なかったと思います。
嫌がらせを受けた原因で思い当たるのは、小さい頃は少しだけ優等生だったので、
妬みだったのかも知れません(苦笑)。自分で言う事ではないのですが。
小学校の頃は、少し勉強が出来て、足が早ければスターになれた時代です。
もちろん、それだけではないのですが、いつかそいつらに再会する事があれば、
じっくり聞いてみたいものです。
他、髪の毛がくせ毛だったので思春期の時は、それがハードなコンプレックスとなりました。
雨や梅雨など湿気の多い季節、プールの授業も大嫌いでした。
今でも帽子をかぶっているのは、その影響かも知れません。
大人になり、それが嫌で坊主にすれば、プッシャーと勘違いされ評判は悪くなり、とほほな感じでした。

話が反れましたが、いじめに耐える事は本当にしんどいと思いますし、周囲の環境が大切だと思います。
S.O.Sを伝える事が出来る環境作りといいましょうか。。。

偉そうな事は言えませんが、その時は全てが嫌で逃げてもいいと思います。
死を選ぶ事だけは絶対にしてほしくないです。


「生きていればそのうちいい事あるよ〜」と楽観的にはなれませんが、
「死ぬ気になればなんでも出来る!」と思います。
相手も殺して自殺しても、それはそれでNGです。

いじめられた側は、その傷が消える事はないでしょうが、
まともな神経の持ち主であれば、いじめた側も後悔の念に取り付かれて生きていくのかなと。

「いつか見返してやるっ!!!」くらいに気持ちを持ち、
好きな事を見つけ生きて行って欲しいです。

世の中には、生きたくても生きられない人達も沢山います。

親から授かった命、たった一度の人生を10代で終わらせてはもったいないです。

20代、30代。
結構大変ですが、楽しい事も沢山あります。

私は40代に突入し、「さてさて、どうなるかな〜」と、少しワクワクしています。


しんどい時は、しんどい。
大変な時は、「助けて」と言える家族、友人、仲間を1人でも見つけて下さい。

私が口癖のように言う『鎧』というキーワードがあります。

一種のプライドのようなものですが、大人になるにつれてそれは無意味になり、
逆効果になる事があります。自然体というニュアンスでもないのですが、
自分を取り繕い過ぎると、自分の本当の気持ちや考え方が相手に伝わりにくくなり
結果、「あの人って良く分からない」となり、
いざという時に誰にも助けてもらえなくなるような気がします。


誰でもダメな部分があります。
と、言いますか、ほぼダメな部分で形成されているのかも知れません。

なので、良い部分、長所を好きになるより、
その人のダメな部分、短所を好きになると人間関係が面白くなります。


ん〜〜〜〜、、、、文脈が散らかって来ました(苦笑)。


上手くまとまりませんし、長くなりましたが、2人の女性の考え方にプラスして、
ちょっと自分の経験、考えも書かせて頂きました。


さてさて、面影ラッキーホールでも聴きつつ、デザイン作業しつつ、
後で昨日INOMATA氏に教えてもらった政治+原発ネタのラジオをチェックしたいと思います。