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あしなが育英会 交流〜2012年夏〜

おはようございます。
今日も夏日になりそうな晴天です。

早起きして、急ぎのデザイン作業をしつつ、
官邸前デモの記事をチェックしつつ。


昨日、河北新報のサイトで見つけたトピックを紹介させて頂きます。

▼『2012年、夏/あしなが育英会(2)交流/心の穴、ぬくもり注ぐ』
河北新報 2012年06月29日金曜日


(たこ焼きを作って楽しむ福井さん(右)と真奈美さん)

南からの浜風に乗ってシャボン玉が舞い上がるたび、駐車場に歓声が響いた。

5月27日、石巻市中里2丁目のあしなが育英会石巻レインボーハウス建設準備室で、
震災遺児たちの交流会があった。「でっかいの作りたいな」。
同市湊小4年の梶原真奈美さん(9)がストローを口にする。

ボランティアの大学4年福井友利さん(22)=兵庫県三田市=もストローに息を吹き込む。
シャボン玉は日差しを受け、虹色に輝いた。

真奈美さんが福井さんと出会ったのは昨年7月。初めて交流会に参加した時だった。

真奈美さんの祖母精子さん(61)が振り返る。「誰にでも心を開くタイプじゃないのに、すぐ懐いた。
初めて会った時、『母親を阪神大震災で亡くした』と言う福井さんを、自分と同じなんだと思ったのでしょう」
「本当のお姉ちゃんみたい」。真奈美さんにとって、福井さんはそんな存在になった。

真奈美さんの母、希久美さんは東日本大震災津波の犠牲になった。37歳だった。
祖母と母子の3人暮らしだった。「不自由な生活をさせたくない」。
希久美さんは日中、水産加工会社で働き、深夜にはパチンコ店で清掃のアルバイトをした。
残りの時間は娘と過ごし、精いっぱいの愛情を注いだ。

真奈美さんは今も、枕の下にママの写真を忍ばせて眠る。母親がいない寂しさをじっと抱きしめる。
心には大きな穴があいてしまった。

4歳の時、阪神大震災で母親を亡くした福井さんは、石巻の交流会に毎回駆け付け、
真奈美さんに寄り添う。孫を見つめ、精子さんがつぶやいた。
「交流会では、真奈美は震災前の笑顔に戻る。心にあいた穴を小さくしてくれるんだと思います」
 
ことし3月11日、石巻レインボーハウス建設準備室でのことだった。
テーブルにあったコウナゴのくぎ煮を見て、真奈美さんが福井さんに説明した。
「これ知ってるよ。ママの工場で作ってた」

昨年7月の交流会で真奈美さんは、遺児たちが震災体験を分かち合う際、何も話せなかった。
福井さんと一緒にいる時間が増えるにつれ、気持ちに変化が出てきた。

レインボーハウス。虹の家と例えられる神戸の施設が、福井さんにとって心の支えだった。

「いつでも話を聞いてくれる人がいた。石巻にも、早くレインボーハウスがほしい」と福井さんは思う。

6月から、就職活動に専念する。石巻にはしばらく足を運べない。
そんな事情を真奈美さんも知っている。

バレーボール、ドッジボール、たこ焼きとたい焼き作り…。2人はずっと一緒にいた。
交流会が終わりに近づくと、手をつないで遊んだ。

帰り際、2人は約束した。「また来てね」「もちろん来るよ」
真奈美さんを乗せた車が遠ざかる。見えなくなるまで、福井さんは手を振り続けた。